戦隊ヒロインBLOG

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2009年06月26日

魔法の光線 【スーパー戦隊シリーズ前史その63】

魔法の光線

p-mahoutukai-sarii.jpgさて、ここで話を「仮面の忍者赤影」の原作漫画を描いた横山光輝に戻す。東映に要請されて「少年サンデー」の「伊賀の影丸」の連載を終了させて「飛騨の赤影」の連載を開始した1966年の頃、横山は「影丸」同様長期連載していた「鉄人28号」の連載も終了させ、翌年から連載を開始する「水滸伝」の準備にとりかかり、いよいよ歴史漫画の世界に進出していこうという時期であったのだが、この年に放送されたアメリカのTV劇映画「奥様は魔女」の日本語吹替版の面白さに感銘を受け、それにインスパイアされた少女漫画「魔法使いサニー」を「りぼん」に連載を始めた時期でもあった。
この「魔法使いサニー」が同年にテレビアニメ化されて「魔法使いサリー」に改題(「サニー」という名称の商標権を持っていたソニーから使用許可が得られなかったため)され、日本初の少女向けアニメとなり、また東映動画魔法少女シリーズ第1作となったことは既に触れた。
ここで触れたいのは横山光輝という漫画家の革新性についてであり、「伊賀の影丸」において後に日本の少年向けバトル漫画のスタンダードとなる「ヒーローチームの集団戦」の漫画表現におけるフォーマットを作ったのと同様、この「魔法使いサリー」でも横山は画期的なフォーマットを作っている。それは魔法の視覚的表現として術者の指先やタクトなどのアイテムから光線が発射されて対象物に命中するという漫画表現であった。


41212.gifそもそも魔法というのは「不思議な現象を引き起こす力」であり、特に何が不思議かというと、それは誰の仕業か分からないことであった。いや、およそ誰がやったか見当はついている場合もあるのだが、その容疑者が一切対象物に触れても近づいてもいないのに対象物に何らかの作用が生じるところに不思議があるのである。
概して、どんなに不可解な現象であっても人間は五感で感知出来る現象、特に目で見える現象は分析可能だと考えるものであり、実際、分析しようとする。しかし何らかのデータとして感知出来ない現象については途端にお手上げになるものである。魔法は目に見えない現象であるから分析が出来ないのであり、分析が出来ないから神秘性が維持されるのである。
ただ魔法現象そのものは定量化出来ないが、術者である魔法使いあるいは魔女は実体を伴った存在であるので、人間は術者自体を分析して魔法の秘密を探ることは出来ると考える。分析といっても要するに人体実験や拷問の類である。だから実際に歴史上「魔女狩りなimage004.jpgどという残虐行為が横行することになったのであり、「奥様は魔女」で夫であり人間であるダーリンが妻の魔女サマンサに魔法の使用を禁じるのも、そうした歴史をふまえて妻の身を案じてのことである。まぁコメディなのでそのあたりは深刻な描写はされず、結局サマンサはコソコソと魔法を使うことになるのだが、それでも大っぴらに使うことは自制することになる。
つまり魔法というものは自然の因果律を無視した不可解な結果をもたらすものではあるが、その結果が生じるまでの過程の現象としては密やかに進行するものでなければならない。例えば何らかの大音響や発光現象などを伴って数値化されたデータを観察者に提供するようなものであってはならないのである。そうした手掛かりを残せば神秘性が損なわれるし、術者を特定する材料ともなる。魔法といっても一種の物理的現象である以上は何らかのエネルギーの放出を伴うものであり、何らかの音や光は発するのは仕方ないにしても、少なくとも術者を特定するような現象は伴ってはならないはずである。それは術者を危険に晒すことだからである。

%E5%A5%A5%E6%A7%98%E3%81%AF%E9%AD%94%E5%A5%B3.bmpだから例えば「奥様は魔女」においてはサマンサは魔法を使う際に大袈裟なアクションなどは伴わず、もちろん大声で呪文などは唱えずに、顔の筋肉を最小限素早く動かして念を送り、自分自身や少し離れた対象物に対して魔法効果を生じさせていた。やや想像を逞しくすれば、自分の視界の範囲外の遠隔地に効果を及ぼそうとする場合には呪文やアクションが必要なのかもしれない。その場合ならば誰にも見られない場所で隠れて行うことが出来るから、大袈裟な呪文やアクションを伴っても安心なのであろうが、公衆の面前や相手の面前の場合はバレないように最低限のアクションのみで効果範囲の狭い魔法のみを使えるのではないだろうか。いや、何も実際の魔法(あればの話だが)の原理がそういうものであるというわけではなく、だいたい「奥様は魔女」あたりのドラマの世界における魔法の定義というのはそういう感じではなかったかと思っているのである。
0.jpgそうなると「奥様は魔女」の場合、サマンサが顔面の筋肉を素早く動かすと、少し離れたところにいきなり物体がカットインで現われたりするという演出がなされることになる。それに対して「一体どうしてこんなことが?」と驚き慌てる人達を相手にサマンサが何食わぬ顔で適当に誤魔化し、唯一真実を知るダーリンだけが冷や汗をかいているという構図が「奥様は魔女」のコメディとしての面白味の真骨頂なのである。
しかし、これらは一連の動きの中で見せられるからこそ面白味が伝わるのである。特にいきなりカットインで物体が出現したり変化したりする演出は流れるような動画だからこそ効果的な手法なのであって、例えばこれを漫画でやった場合、漫画というものはそもそもコマとコマの間がカット繋がりだからカットインというエフェクトは全く効果的ではない。そこで、漫画において魔法を表現する場合、漫画独自のエフェクトが必要になってくるのである。

mahoutukaisari04.jpg横山光輝が「奥様は魔女」から発想を得て魔法使いの漫画を描こうとした際にこのことが懸案になり、そして横山は出来あがった漫画「魔法使いサニー」において、静止画である漫画の中で魔法によって生じる「突然の変化」の唐突さを際立たせるために、逆説的に魔法の施術から作用までの流れるような動きを見せることが必要となり、そのために術者の指先や道具などから光線が発射されてそれが魔法の対象物に命中し、それによって魔法効果が生じるという演出を開発したのであった。
このエフェクトを使えば魔法の発動から作用までを一連の時間の流れとして意識することが出来るから、その中で生じる突然の変化がより劇的に感じられる。つまりどうしてもコマとコマの間の時間の流れが飛んでしまうという漫画の欠点を光線のエフェクトで補ったのである。
これは例えば「書き文字」と同じ種類のエフェクトと考えればよい。漫画というのは映画と違って音を発することが出来ないので「ドカーン」とか「ガシャーン」とかいう擬音を文字化して画中に書き込まなければいけないが、フキダシの中に書いてしまうとセリフと区別がつかなくなるのでコマの中に単体で書き込むことになる。その際、書体や配置など自由に選択出来るので、最もその音を表現するのに適当な書き方をするようになる。その結果、コマの中megyan.gifには様々な形態の書き文字のエフェクトが乱れ飛ぶことになるのだが、もちろんそんな文字が実際に空中を行き交っているわけではない。あくまで無音空間である漫画の欠点をカバーするための特有の手法なのである。
だから、漫画がアニメや実写ドラマ化されて音声をインサート出来るようになれば、「書き文字」は不要になるので大抵は取り除かれる。それと同じように、この「魔法使いサニー」における魔法発動時の光線の発射エフェクトも、アニメ化されて「魔法使いサリー」になった時点で「時間のスムーズな流れ」という特性を獲得したのだから不要になったはずである。だからこのような光線は擬音の書き文字と同じように取り除いて、「奥様は魔女」のようなカットインの演出を行うのが順当であったはずである。
しかしアニメ「魔法使いサリー」を製作した東映動画はこの横山の漫画独自の工夫であった「魔法発動時の光線発射」をアニメ版においても採用した。ただ全編にわたって採用したわけではなく、細かな魔法は光線は使わずにカットインで表現することにしたが、随所で魔法光線のエフェクトを使用するようにしたのである。何故そのようにしたのだろうか。
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posted by 戦隊ヒロインBLOG at 20:36 | シリーズ前史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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