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2009年06月27日

不可視現象の可視化 【スーパー戦隊シリーズ前史その64】

不可視現象の可視化

img20061025_p.jpg何故、横山光輝が漫画版の「魔法使いサニー」で編み出した「魔法発動時の光線発射」というリアルではないが静止画である漫画独自の工夫としてのみ必要であった演出技法を、それを原作として製作したアニメ版においてまでも東映動画はどうしてそのまま(いや、もっと派手に)採用したのであろうか。横山は原作の改変には全く無頓着な漫画家であったのだから、別に原作漫画の設定に忠実である必要など全くなかったし、実際、東映動画は平気で原作の設定を何箇所も変更している。この光線描写だって無くしても全然構わなかったはずである。それなのにこの描写を残したということは東映動画がそれを有用だと判断したからである。どうしてそのように判断したのかというと幾つかの理由があるだろう。
まず横山の編み出した光線描写がアニメの演出としても応用して使えるものであり分かりやすい表現で効果的と認められたからだ。アニメ作品においても効果的と認められれば随所で擬音の書き文字が使われることがある(例:「はじめ人間ギャートルズ」など)のと同じことである。そしてまた、この「魔法使いサリー」は大人向けに作られた「奥様は魔女」とは違い子供向けで、そのユーモアも子供向けにより分かりやすく強調されたものでなければならなかったので、この分かりやすい光線描写は残されたのだとも言える。

そしてもう1つ技術的理由として、当時の日本のTVアニメは「鉄腕アトム」以来の低予算製作方針のため1作品あたりのセル画の枚数が極端に少なく「動く紙芝居」状態であったので、実写と同レベルの滑らかな流れるような動きとcomment_img_1.jpgいうものが達成出来ておらず、それゆえこうした本来は横山が作った漫画特有のものであったはずの魔法を光線で表現するエフェクトに頼る必要が生じたのである。
こうして結果的に「魔法使いサリー」においてサリーをはじめとして魔法使いが魔法をかける時には指先や手に持った道具などから光線を発射して対象物に照射し、それによって魔法が作用するという表現が使われるようになり、これに加えて「ひみつのアッコちゃん」ではアイテム使用の定番化と呪文の唱和が加わり、これらの組み合わせが東映動画の魔法少女シリーズが続いていくうちに次第に定番化していき、ひとまず「魔法使いチャッピー」の時点では、だいたい魔法少女のスタイルとして「呪文を唱えながらバトンを振るとバトンから光線が照射されて対象物を包み込み、魔法が作用する」というイメージが出来上がることとなった。そうした「魔法」というもののイメージ形成に画期的な役割を果たしたのが、この初めて魔法アニメに光線描写を採り入れた「魔法使いサリー」なのである。

もちろん「レーザー光線」そのものは「サリー」以前からその存在は知られていたし、アニメや実写などでも使用されていた。しかしそれは大抵は「光線銃」という架空の兵器によって発射されるもの20071127171614.jpgであり、人間そのものが光線を発射するという描写はほとんど存在しなかった。アトムは指先から光線を発射していたが、アトムは限りなく人間に似たロボットだったので、生物ですらない。生物が光線状のものを発射する例としてはゴジラが口から熱放射線を発射したのを皮切りに幾つかの怪獣達には見られ、その延長線上に「サリー」に少し先行して放送を開始した「ウルトラマン」においてウルトラマンがスペシウム光線を腕から発射するという描写は見られた。しかしこれらも生物ではあるが人間ではないし、どう見ても実在の生物ですらなかった。
人間は実際には腕から光線を発射したりはしないのだから、なかなか人間にそんな真似をさせることは出来なかったのである。だから一応「魔法使い」であるとはいえ、どう見ても人間態であるサリーの身体から光線を発射させるということは、現在ではピンと来ないかもしれないが、当時としてはかなり思い切った演出だったのである。
これはやはり「サリーは魔法使いである」という前提があってこそ、このハードルを乗り越えることが出来たのであろうが、サリー自体が人間のフリをして人間世界に溶け込んで暮らしている以上、限りなく人間に近い存在なのであり、サリーが光線を発射したことによって、アニメの世界では遠からずその能力を他の人間が使えるようになるという流れは不可避のものになったのだった。
実際、「サリー」の次作品「ひみつのアッコちゃん」では普通の人間の女の子であるアッコちゃんがアイテムの助けを借りてだが魔法じみたものを使うようになり、光線発射はしなかったものの、人間にも魔法が使えるという前提は出来たことになり、いずれ人間も何らかの条件が整えば手から光線を発射することはアニメの世界では不可能ではなくなったのである。

9_v2.jpgただ、ここで画期的なことは単なる「光線描写」だけではない。サリーの発する光線とウルトラマンの発する光線との間には根本的な違いがあるのである。それは、ウルトラマンの発するスペシウム光線は実際に発射されているものであって周囲の人間の目にも見える可視光線であるのに対して、サリーの魔法時に発射する光線は周囲の人間の目には映らない不可視光線であるという点である。
サリーは魔法使いとしての正体がバレてはいけないので魔法を使う時の自分の姿を周囲から隠すのだが、対象物はだいたい衆目に晒されている場合が多いのであり、光線は対象物に命中するのであるから、この光線が見えてしまえばその発射源を探っていけばサリーに行き着いてしまう。しかし誰も光線に注目していないところをみると、どうやらこの光線は不可視光線、というより、あくまで魔法の力の比喩的表現であると考えるべきであろう。つまり、実際は可視化、定量化することが不可能な現象を比喩的に可視化する表現がアニメの世界に誕生したことになる。
5921967.gifこれと似たものとしては「お化け」に関する表現があるが、「お化け」の場合、可視化して見ることが出来る人も古来からおり、そうした人の目撃報告をもとにイメージが形成されて漫画やアニメ、実写でも表現されるようになったものであって、魔法の場合とは少し違って、厳密には比喩的表現とは言えない。一方、魔法の発動時に光線が発射されるなどという例はかつて誰も目撃しておらず、これは横山が全く独自に創作した空想的表現に過ぎない。つまり完全なる比喩的表現なのである。本来は不可視の現象をそのままリアルに不可視のまま表現するのではなく比喩的に可視化したエフェクトで表現するようになったのは、アニメの世界ではこの「魔法使いサリー」の魔法光線が最初の例なのである。
これこそが真に画期的なことであって、この魔法光線の描写が一般的になることによって他の不可視で不可解な現象も可視化して漫画やアニメの世界での表現も可能になったのである。他の不可視で不可解な現象とは何かというと、その典型的なものが、いわゆる「超能力」といわれる不可解な現象であり、その超能力を初めて比喩的に可視化した描写を施した画期的な漫画が、奇しくもというべきか必然というべきなのか、「サリー」と同じ横山光輝の作となる超能力バトル漫画「バビル2世」であった。
「バビル2世」において横山は自身の作りだした「魔法光線」を応用して超能力の発動にも光線描写を使ったのである。その比喩的表現を更に極端化したアニメ版「バビル2世」が放映されたのが、横山原作の「サリー」から始まった東映動画魔法少女シリーズで「魔法光線」を完全に定番化した作品「魔法使いチャッピー」の後番組であり、やはり東映動画によって手掛けられたことも、奇縁であったというよりは、必然的であったと言っていいだろう。
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posted by 戦隊ヒロインBLOG at 21:25 | シリーズ前史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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