戦隊ヒロインBLOG

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2009年06月29日

バビル2世 【スーパー戦隊シリーズ前史その66】

バビル2世

babil_001_1000k_0003.jpgさて、まずは横山光輝の「現代版忍者漫画」としての「バビル2世」である。もともと横山の描く忍者漫画というのは特殊能力を使った忍者合戦が主体で、一種の超能力戦が展開されたものであったので、それを現代や近未来の設定に置き換えると普通に超能力漫画になるのは必然であった。ただ忍者漫画の名残はしっかり残っていて、バビル2世もその敵達もやたら跳躍力が強調されており、夜のビルの谷間を素早くピョンピョンと飛び跳ねていきつつ戦うのだ。これはまさに忍者漫画における忍者の動きそのものであり、逆にこの「バビル2世」が人気作となりすぎたせいで超能力漫画の典型となってしまい、超能力者というものが人並み外れた跳躍力で飛び跳ねながら素早く移動するものというイメージが固定化されることになったが、もともと超能力者にそんなイメージが付随していたわけではなく、この「バビル2世」が現代版忍者漫画であったことから付随するようになったイメージに過ぎないのである。
そして、忍者といえばそうやって高速で飛び跳ねながら手裏剣を投げ合ったり刀で斬り結んだり、横山忍者の場合は何やら怪しげな術を使ったりするのだが、基本的にあまり接近戦や肉弾戦をしないのが特徴である。相手とは一定の距離をとって戦う。しかし手裏剣を投げ合ったりすれば忍者そのものになってしまうし、何か変な術を使ったとしても、横山漫画の場合、既にたいがいの術は忍者漫画で使ってしまっていたから、今までにあったようなことをやっていては現代版忍者漫画としての「新しさ」が表現できない。そこで離れた敵を攻撃する技として今までにないような超能力の表現が必要になったのだ。


genma2.jpg「バビル2世」以前にも超能力をテーマとした漫画は存在した。1967年の石森章太郎の「幻魔大戦」などはその代表格であるが、これは超能力という未知の現象に大きな世界観を重ねて深淵なテーマ性を持たせたもので、いかにも石森らしい壮大かつ陰鬱な物語であり、物語としては深みはあるのだが、描写は抽象的かつ地味になりがちで、バトルよりも人間の内面の葛藤などを描くことに比重が置かれていた。
これは良質のクリエイターであれば当然の傾向であり、何か未知の超現象があったとして、それをテーマとした物語を作る時、特にその試みが初めてに近い時はその現象の意味自体に深く抽象的に切り込んでいく作風になりがちであろう。手塚治虫が手がけたとしても、やはり石森のような作風になったと思う。それを単なるバトルの技の1つとして消費してしまうような勿体ない使い方はしなかったであろう。
41Y6KRNGJQL.jpg横山はまさに「バビル2世」で超能力をその勿体ない使い方で消費したわけであるが、これは「バビル2世」が「幻魔大戦」のような「超能力をテーマとした漫画」ではなく、もともとあくまで「現代版忍者漫画」、つまりバトルそのものをテーマとした漫画だったからこそ出来たことなのである。更に一歩踏み込んで言えば、手塚や石森が何か自身の中にある一歩進んだ思想やテーマを読者に示し影響を与えることを常に志向していた漫画家であったのに対して、横山が自らのライフワークとした歴史漫画を除いては常に読者の求めるレベルのものに合わせた作品を提供し続けることを心がけた職人的漫画家であったことによるものであるとも言える。
手塚や石森ならば単なるバトル漫画などバカバカしくて描けなかったであろうし、超能力のような深淵なテーマ性を内包したものをバトル時の技として使いきってしまうようなことは安易すぎると思ったことであろう。しかし多くの漫画読者はそんな程度のものを求めているのであり、横山はそういう読者のニーズを満足させる表現上の技巧を突きつめることの方に常に心を砕いていたのである。だから読者の喜ぶ忍者漫画の現代版を描こうと思い、その中で超能力をバトル時の技として割り切って使うことにしたのである。

080521_023401.jpg超能力というものが本当に存在するのか分からないが、もし存在するとしても、それは時々テレビのバラエティーやドキュメンタリーで実演されているように「術者が手で触れてもいないのに物体が動いたりする」というような一種の不可視現象であるはずである。光や音の発生を伴うようなものではない。何ら働きかけをしていないのに作用だけが現れるのである。だからこそ不可解な現象なのだと言える。つまり「奥様は魔女」における魔法と同じである。石森の「幻魔大戦」でも超能力というものはそのように描写されている。そのほうがリアルなのだといえる。
しかし横山はあえてそのリアルにはこだわらず、現代版忍者バトルを派手で見栄えの良いものにするために、そして超能力バトルというものを読者にとって分かりやすいものとするために、そしていかにも「現代版」の忍者バトルの今までにない新しい超能力の表現様式として、実際は目には見えない超能力の波動を(あくまで漫画表untitled4.jpg現上の比喩的に)可視化することにして、その比喩的表現として光線や電撃、あるいは火炎放射をあてることにしたのだった。それは「魔法使いサニー」でかつて魔法の比喩的表現として光線を使ったのと同じ発想であった。
その最たる例が「バビル2世」の劇中における「エネルギー衝撃波」という技で、体内の生命エネルギーを掌から電撃状に放出して敵の身体に破壊的なダメージを与える技で、劇中ではバビル2世とその敵であるヨミとが組み合いつつ延々とこの「エネルギー衝撃波」を撃ち合うという壮絶な描写がたびたび現れ、その迫力ある超能力バトルの描写が人気を呼んだ。また1973年1月から放映されたTVアニメ版ではこの超能力バトルの描写が更に派手なものになり、後のアニメ界における超能力描写に大きな影響を与えることになった。

1598615_s.jpgすなわち、この「バビル2世」人気の結果、超能力というものは少なくとも漫画やアニメの世界においてはそれまでの「不可解な現象」というイメージから脱却し、「常人離れした身体能力で跳び回り、生命エネルギーを掌から光線や電撃、火炎状にして放出して戦う能力」という具体的イメージをもって見られるようになったのである。これによってそれまでは漠然とした得体の知れない現象というイメージであった「超能力」というものが格闘技や飛び道具と同じ文脈で扱われるものとなり、超能力バトル漫画という新しいジャンルが生まれたのだった。
そして、こうした超能力の基本的イメージの上に更に漫画やアニメの世界では術者の掌(あるいは身体の全体や各部)から放出される光線や粒子などに様々な比喩的な属性、例えばバビル2世においてAKIRA.jpgは火炎という例が既に見られるが、その他の自然現象や動物や植物、機械的なパワーの放出というようなイメージが与えられるようになり、しまいには何やら気の力や宇宙の根源的なパワーなどのような抽象的なイメージまで放出するようになっていき、超能力バトルから発展して魔法バトル漫画という形も生まれてくることになるのである。
また、超能力描写の発展形としては、この横山の作った「超能力=破壊的エネルギーの放出」というイメージの土台の上に、よりリアル路線に回帰して放出エネルギーの不可視化を図り、その上で破壊力描写を強調するために周辺構築物の球状の破壊描写だけを特化させた新しい超能力描写が1970年代末に大友克洋の「AKIRA」によって編みだされた。これは極めて画期的なことで、他にも様々に画期的な業績のある大友克洋についてはまた後述することになるとは思うが、大友は非常に横山光輝を尊敬しており、この超能力描写にしても、あくまで横山が「バビル2世」において定着させた「超能力=破壊的エネルギーの放出」という公式の上に組み立てられたものなのである。
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posted by 戦隊ヒロインBLOG at 21:56 | シリーズ前史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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