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2009年07月06日

仮名草子 【スーパー戦隊シリーズ前史その73】

仮名草子

%E5%BE%B3%E5%B7%9D.jpg何故、江戸時代初期に庶民向けの書物が普及したのかというと、徳川家が天下をとって泰平の世になったから庶民が書物を読むようになったというのは確かに現象としては間違いではないが、初期徳川政権は完全なる軍事独裁政権であり、幕府の意向なくしてそのような現象が許容されるはずもないことを忘れてはいけない。
幕府として積極的に書物を普及させたい何らかの事情があったのである。そして当時の世界において、わざわざ庶民の知的水準を上げたり庶民に娯楽を提供するために書物を普及させるなどという施策をとる政府などはあり得ないのであって、徳川幕府もまた、そんなお人よしな理由ではなく、別の理由で書物の普及を推し進めたのである。それは儒教道徳の啓蒙のためであった。

戦国時代というのは気候変動の影響で日本全体が貧困化し、そのため社会秩序が崩壊して庶民の末端に至るまで武力闘争を繰り返すという、日本史上最も過酷な時代であった。そのため、この時代は日本的な美意識を押しのけて「力こそ正義」というような思想が前面に出てきていた。
戦後に支配的となったマルクス主義史観などでは江戸時代に確立した封建制度を悪と見なす傾向が強いため、それによって圧殺された戦国時代を自由な時代として肯定的に評価する向きがある。確かにある意味では何でもアリの自由な時代であったとは思うが、それは力のある者にのみ許された自由で、女子供など弱い者にとっては極めて不自由な時代であったのが実情である。実際、度重なる戦のたびに戦いとは無関係の女子供までもさらわれて奴隷として売り飛ばされるような行為が横行する過酷な時代であり、悪者にとっては天国のような時代であったろうが、こんな時代を自由な時代だと歓迎していた庶民などそう多くはなかったはずである。だからこそ、庶民は天下を統一して新たな秩序を打ち立てようとした信長や秀吉を支持したのである。

040203-2.jpgこうした乱世を収拾して17世紀初頭に最終的に天下を統一したのが徳川家康であるが、家康は「力こそ正義」という風潮を収束するために「正義こそ力」という思想の導入を図った。それが朱子学で、幕府はその創設当初から朱子学を官学として奨励したのだった。朱子学というと儒教の一派で、シナにおいては宋や明で官学となっていたものだから、家康は当時隣国であった明の真似をしようとしたことになる。
それまで朱子学は一時期、後醍醐天皇の周辺がかぶれていた以外は日本においては全く普及していなかった。そもそも明は鎖国政策をとっており、しかも少し前に豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵して明と戦争をしていたので明との関係は最悪であった。また明は外交的には冊封体制しか認めなかったので日本に臣下の礼を求め、それを日本側が拒否するという古代から続く日本とシナの関係の伝統もあり、結局は政府同士の正式な交流というものは生まれず、なかなか当初は朱子学の導入も苦労したようである。儒教の摂取が本格化するのは、17世紀中頃に明が満州族に滅ぼされて、明の知識人が日本に亡命してくるようになって以降であろう。しかし17世紀初頭の徳川幕府の創設段階こそ、乱世収束のために「正義こそ力」という朱子学思想が最も必要であった時代であるので、不十分な朱子学知識ではあったが幕府は懸命に啓蒙に努めた。

1000003639_9900019.jpgただ、ここで「啓蒙」をしなければいけないのが既に日本がシナとはかなり状況が違ってきている部分であり、シナ風にやるならば科挙の制度を敷いて儒教知識人を権力側に取り込んでしまえばいいのであり、庶民にいちいち儒教道徳を啓蒙する必要など無い。実際、シナでは庶民に啓蒙教育など行っていない。庶民はただ愚かなままで支配されていればいいのである。それだけ皇帝と儒教官僚による中央集権支配体制が完璧に整備されているということであった。しかし江戸初期の日本の場合、そこまでシステマティックに徹底した支配体制を作ることは出来なかった。
何せ「和」の国なので能力よりも血縁や仲間意識で序列を決めて身内で支配層を作ることになる。しかし、そうなるとあぶれた知識人が市井に偏在することになり、勝手に権力批判をすることになる。もちろんそれが反乱にまで発展すれば武力で抑え込むことは可能であったが、その芽を全て摘むまでは無理だった。そこまでやろうとすれば徹底した中央集権支配体制が必要となるが、それが出来ないのが「和」の国であった。
gn606.jpgいや、江戸初期の幕府首脳たちは一応は中央集権体制を志向し、朱子学を官学として科挙に似たような制度を敷こうとしたり、幕府への権力集中を図ったりもしたのだが、直属の家臣である旗本の不満が高まったり、大名取り潰しが相次いだために浪人が激増して社会秩序が乱れたりして、最終的には17世紀中頃の由比正雪の乱を契機に中央集権制への移行を諦め、その後は身内で幕府権力を固めつつ、外部の不満に対しては禁制と緩和政策のバランスをとってコントロールしていくようになった。
このように17世紀中頃には結局は家康が構想したような儒教道徳による支配体制の形成は失敗したわけであるが、そうした結果に至るまでの過渡期において、市井の知識人やその周囲の庶民たちが権力への不満を抱くことがないように、幕府権力こそが正義であるという思想を啓蒙する必要があり、そのため幕府は書物を多く刷って、庶民に儒教道徳を啓蒙しようとしたのである。また、これは上手くいけば庶民が本当に儒教道徳に目覚めて世の中が丸く治まる結果となるかもしれないと幕府首脳は考えていたのではなかろうか。
儒教というのはあくまで統治哲学であって庶民が知っても仕方がないものである。しかし日本には古来から「仏国土思想」という「支配者から民衆の末端に至るまで仏教の信者となれば仏の加護を得て世の中は平和に治まる」という少し呪術がかった思想があり、これは儒教の「儒教道徳を収めた賢人によって統治されれば世の中は丸く治まる」という思想とは異質な思想であるが、どうやら儒教の本質をよく知らなかった幕府首脳はこのあたり混同して、儒教を民衆の末端まで啓蒙しようとした節もある。
c12.jpg庶民向けの書物としては、戦国時代には既に素朴な民話などを集めた「御伽草子」というものがあったが、この延長線上に幕府肝入りの民衆への啓蒙書の一群が加わり、書物の数は飛躍的に増えた。この啓蒙書の類は庶民に読みやすいように仮名文字、あるいは仮名混じり文で書かれていたので「仮名草子」という。しかし「御伽草子」だって仮名で書かれていたし、「御伽草子」にしても「仮名草子」にしても後世の研究者がそのように区別して呼称しただけで、当時の人々にとっては同じようなものであったと思われる。

この「仮名草子」は当時の知識人に製作が委託されていたのだが、彼ら知識人に幕府から給料が出ていたというわけではなく、「知識人ならば民衆を啓蒙したがるはずであるし、儒教が良い教えならば民衆もそれを歓迎するはずだろう」という先入観で幕府は知識人に丸投げしてしまった。もちろん単に「作れ」と言って作るわけもないので、書物を大量に作って売れるように版木を提供した。
それ以前は書物というのはいちいち手書きで写しとっていたのであり、そんな手間のかかることをしていては商売にならないので書物があまり世間に普及しなかったのだ。そこで幕府が版木を提供して出版が商売になるようにしてやったのである。ただ、内容についていちいち指導することまではしなかった。いや、そもそも幕府の役人にすら儒教に関する知識などほとんど無かったので学者に丸投げするしかなかったのである。
58961.jpgしかし、その知識人たちの儒教知識も当時はかなりいい加減なもので、その民衆への啓蒙意欲も怪しいものだった。その上、肝心の民衆が儒教や朱子学などにはほとんど興味が無かったので、儒教道徳を書いた書物など書いても売れない。江戸初期は貨幣経済の本格的な普及の始まった頃で、銭を稼がなければ市井の学者は食っていけないので、売れない本など書いていても仕方ない。それで結局「仮名草子」は庶民受けするような物語や説話が多くなり、即物的な実用書のようなものも書かれるようになった。
一応、「仮名草子」という名で分類されるものはそれらの中でも儒教めいた教訓を含んだものとなっているが、当時の人々がいちいちそんな分類をしていたわけではなく、当時大量に出回るようになった書物の内容として最も多かったものは以前から写本が受け継がれて存在していた「源氏物語」や講釈の題材となっていたような「太平記」その他の軍記物のような物語の類であった。
こうして「源氏物語」「太平記」などのような日本において従来から独自に発生していたフィクション文学の名作が17世紀において大量に書物の形で庶民の間に普及するようになったのである。但し、まだ識字率が高い時代ではなかったので、書物を読めるのは庶民の中でも富裕層だけであり、下層の庶民たちにとっては講釈や浄瑠璃、歌舞伎のような語り芸や芝居は、そうした書物に書いてある物語の内容を知るための欠かすことの出来ないメディアとなっていった。そして、この書物化された物語類はそうした語り芸や芝居の原案として使われていくことになり、こうした読書文化の発生と普及はそれらの物語類を翻案して優れた戯曲を書く近松門左衛門のような優れた才能を生み出す土壌ともなっていったのである。
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posted by 戦隊ヒロインBLOG at 16:21 | シリーズ前史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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