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2009年07月10日

シナにおける忠 【スーパー戦隊シリーズ前史その77】

シナにおける忠

edo_sm.jpgだが、幕府や主君から自立して武士が生きていけるかというと、17世紀半ば以降には現実的にはそれはもはや不可能になっていた。武士はその自立性の基盤であった農村から引き離されて主君からの俸禄米無しでは生きていけないサラリーマン的存在に既に変えられてしまっていたのだ。武士が城下町のサラリーマン生活を捨てて農村へ戻って土地を支配しようとすることは(一部の例外を除いては)厳しく禁じられていた。それは戦国乱世への逆行を招く重大な反逆行為だからだ。
では、そうして縛り付けられて武士は主君や幕府への盲目的な忠誠を強要される奴隷戦士と化してしまうのかというと、そういうわけでもない。そもそも17世紀半ば以降の泰平の世に戦士など必要無いし、シナ風の中央集権制の強固な軍事国家を作ることも対外的な征服戦争も諦めてしまった17世紀半ば以降は、幕府にとっては武士からの絶対的忠誠などどうでもよく、むしろ彼らを養っていくのが重荷であったぐらいである。

だから「忠」を重視した儒教道徳も、シナのように統治哲学として意味のあるものでもなく、武士たちを縛る道徳律としても既に幕府当局にとっては大して意味のあるものではなかった。17世紀後半になると、既に戦士の時代ではなく商人の時代となり、世の中を動かすのは儒教などではなく銭の力であった。幕府も大名も、戦争のことよりも、いかに金を貯め込むか、財産を増やすかについて腐心するようになっていった。いや、元禄時代までは幕府や大抵の大名は財産を増やす才覚も無く、主に贅沢と散財、そのための借金をすることに腐心する存在でしかなかった。
儒学の教えは建前としては重視され、その思想に基づいた徳のある政治も行われた。いや、幕府首脳や大名たちは儒学の(表面的な理想主義的部分の)教えを本気で信じていたのであろう。しかし、そうした善政はむしろ好景気を招いて貨幣経済の急激な発展を呼び込み、その大きな波は彼らの薄っぺらな儒学的な理想主義など呑みこんで、結局は欲得ずくの世の中、人々が「利」で動く世の中を作ってしまい、幕府も大名も、表では儒学的な綺麗事は言いながら、裏では金策に走るしかなくなっていったのである。
393d92f2b23a9734cf60-L.gifそんな世の中であるから、17世紀半ば以降は武士はその本来の職分である軍事訓練などすることも奨励されなくなり、戦士ですらなくなっていった。そして急発展した貨幣経済の体制下では彼らの戦士としての誇りと引き換えに手にしていた俸禄米の価値すらも暴落していき、彼らの存在そのものが貨幣経済の足を引っ張る不良資産と化していったのである。
つまり、新しい利得の世において武士は社会のお荷物となったのだ。本来、武士を武士たらしめていた土着性は郷土と共に奪い去られ、郷土を守る戦士としての誇りも失われ、新しい貨幣の世において時代遅れの役立たずとして後ろ指を指される存在にまで武士は転落したのだ。いや、もはやこの時代、真の意味での武士は滅び去っていたと言っていいだろう。
しかし、徳川幕藩体制下では建前上は武士は統治階級として存在し、儒学の徳目を収めた聖人君子であるはずだった。特に主君に絶対的忠誠を誓う「忠」の権化であるはずであり、あるべきであった。しかし、それもまた建前に過ぎず、それが建前論でしかないということも周知の事実となっており、元禄の頃には内心では誰もそんな武士が存在するなどと信じてはいなかったし、権力側もそんな武士は本気では求めてもいなかった。
このように武士は全てを失ってしまった。それでも武士は存在し続けなければならない。その絶望的な閉塞状況の中で、武士は許される範囲内で自らのアイデンティティーを再構築せざるを得なかった。存在し続けなければならない以上、それはどうしても必要なことだったからである。武士の手元に唯一残っていたものは、既に建前論となって錆びついてしまっていた「忠」のみだった。この「忠」の意味合いを違ったものに作り変えて再生させることによって武士を新たな意味合いの存在として再生させようとした試みが新たな哲学を生み出すことになるのである。

sikoutei.jpgでは、江戸前期の日本において建前論となって錆びついてしまっていたシナ儒教由来の「忠」とはどのようなものであったのかというと、儒教の本場シナにおける「忠」というのは「皇帝に対する忠」のことを指す。シナにおいては君主というべき存在は皇帝のみだからだ。これが「一君万民」というやつである。そして民衆には「忠」という価値観は持つことすら出来ない。民衆は皇帝に仕えることが出来ないからである。民衆は皇帝の慈愛に満ちた政治、すなわち「仁政」の恩恵をひたすら受けて感謝して税を大人しく納めていればいいのである。
民衆が皇帝を慕う気持ちにおいて何ら道徳律は必要ない。天の代理人である皇帝を慕うのは全く当たり前の行為だからである。逆に皇帝は民衆を慈しむ仁政を行う義務を負うことになる。但し、この場合、皇帝は自らに地上の統治を委任してくれた天に対してその義務を負うのであって、民衆に対して義務を負うわけではない。だから皇帝がその義務を怠った場合、あくまで天によって罰されるのであり、民衆の反抗が許されてはいない。皇帝に天罰が下るまでは民衆は悪政にも耐え、その間、皇帝に感謝して納税し続けなければならないのである。しかし何をもって天罰とするのか決めるのは難しく、結局民衆は革命が起きるまでは延々と悪政に耐えるしかない場合がほとんどとなる。奴隷とはこういう存在のことを言うのだ。
シナの儒教、特にその中でも宋代以降の儒教において主流となり江戸時代の日本にも導入された朱子学においては孟子の教えが重視されたが、その孟子の教えによれば、政治においては人民が最も大切で、次いで国家が大切で、君主はそれらより軽い扱いでよいということになっている。これが「民本」という考え方で、孫文の民本主義というのもここからきているのだが、この考え方の根拠は「天の意思は民の意思となって現れる」という孟子独特の思想にある。
mousi.jpgしかし、これは個々の民の意思のことではなく、漠然とした民の総意のようなものであり、結局、何が民の意思で何が天の意思であるのかについて人民が決定出来るわけではない。それを判断出来るのは結局、皇帝やその側近の儒学者ということになり、真の民の意思が天の意思となって実行されたということが確認され得る場合というのは、革命によって王朝が交替した後にその正統性が追認される場合ぐらいに限られていた。結局は、儒教の中では相当にラディカルである孟子の思想においてすら、そこで述べられているのは帝王の心得、統治哲学の範疇を超えるものではない。つまり孟子は単に君主(当時は戦国時代だったから各国の王)に向って「民の意思は天の意思と思って、常に民のことを第一に考えた仁政を心がけましょう」と呼びかけているに過ぎない。あくまで思想の主体は君主であり、人民や家臣の心得を説いたものではないのである。
そうした孟子の時代の後、天の意思の代理人としての皇帝というものがシナに出現し、そうした皇帝に仕える儒教官僚の心得るべき徳目がシナ儒教における「忠」なのである。皇帝は天の意思の体現者であり聖人君子、つまり最も正しい儒教の教えの実践者であるのだから、それに仕える官僚たちはひたすら皇帝と心を同じくして皇帝の忠実な手足となって働き、皇帝の仁政をサポートするのが「忠」ということになる。
だから官僚は皇帝の前で偽りの無い心であらねばならず、皇帝と官僚は常に心を通わせ合うようでなければいけない。それが出来ない官僚は不忠者ということになる。これは日本人的感覚では一見すると歯に衣着せぬ諫言が認められているように受け取れるかもしれないが、シナ儒教の場合、皇帝が天そのものであり絶対的に正しいという思想が前提になっているので、あくまで官僚が皇帝に迎合することが「心を通わせる」ということである。
何故このようなことになってしまったのかというと、シナにおける儒教というものは一旦、秦の始皇帝の時の弾圧で廃れたものを漢の7代皇帝の武帝の時代に体制正当化のための御用学問として再発見再利用されるようになったものだからである。そのシナ儒教の流れの中で生まれた朱子学であるから、孟子の教えもまた結局は実際の政治現場では皇帝独裁体制の正当化に使われるに過ぎないものになったのである。
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posted by 戦隊ヒロインBLOG at 21:59 | シリーズ前史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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