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2009年07月22日

理と気 【スーパー戦隊シリーズ前史その81】

理と気

朱子学の創始者である朱子が提唱した「徳の生じる仕組み」の理論の最大の功績は、誰でもが聖人になれる道を開いたことにある。それ以前の儒教というものは有徳の聖人になる道を示すものではなく、まずはこの世に聖人と凡人というものが存在するという前提の上で、どういう人が聖人であって、どういう人が凡人であるのかについて述べ、その上で、世の中が聖人によって凡人を治めることによって平穏に治まるのだということを主張するものだった。つまり一種の社会論であって、個々の人間の内面に踏み込んだものではなかった。
これは儒教の創始者の孔子やその後継者の孟子などは道徳も何も無い戦乱の時代に辟易して、本気で徳の高い人物による統治を望んだという意味であったのだが、この儒教が皇帝独裁体制の漢帝国で統治哲学として採用されて以降は、「聖人が皇帝になるべき」という本来の儒教の教えが顛倒して「皇帝は聖人であるはず」という前提の下、皇帝による独裁を正当化する哲学として使われるようになった。そして儒教は上にへつらい不正を正当化する教えへと捻じ曲げられていったのだった。

結局、朱子学以前の儒教においては「統治階級は聖人で、人民は凡人である」という図式が固定化されており、人民は凡人だから人民なのであって、人民が聖人となり統治階級となるということは、天命が降って革命が起きる場合以外は基本的には無いことであった。科挙に合格すれば官僚になることは出来たが、唐代までは科挙を受験出来るのは元来の統治階級の者達だけであった。
しかし唐代の後期から経済発展の中で人民の中から新興地主階級が現れてその裕福な経済力を使って子弟に科挙を受験させるようになり、凡人であるはずの人民の中から統治階級入りする者も出てくるようになった。その後、唐が滅びて軍閥同士による五代十国の戦乱の後にシナを再統一して建国した宋は軍閥を排して極端な皇帝独裁の官僚体制を敷いて、人民が科挙で官僚となって皇帝に絶対忠誠を尽くす体制を作った。
こうなると、もともとは人民だった者が統治階級に入ることは普通のこととなり、言い換えれば、凡人だった者が聖人になるケースが増えたということになる。いや実際は聖人になどなってはいないのだが、統治階級は聖人でなければいけないという建前になっている以上、科挙に合格した人民は凡人から聖人に昇格するということになるのだ。つまり、そうした現象を説明するために、それまでは不必要であった「凡人が聖人になる方法・理論」というものが必要になってくるのである。朱子学の理論というのは、そうした必要性によって生まれてきたのであった。

朱子学の理論は「凡人が聖人になる理論」である。それは迷える衆生が悟りを開くという仏教理論の論理体系や、道教(もともとシナの老荘思想に民間信仰と仏教の要素を加えて出来たもの)の世界観を総合して作り上げられた。
朱子学の理論の中核にあるのが「理」である。「理」は宇宙の普遍的原理とされ、「気」と対をなす概念とされた。「気」というのは万物を構成する要素で、その「気」の運動に秩序を与えるものが「理」とされた。何やら難解だが、これは要するに二元論的な世界観で、古代ギリシャのプラトンやアリストテレスの学説と似ている。
もともと二元論の元祖は古代ペルシャのゾロアスターで、そこから西に伝わったものがギリシャ哲学に影響を与えて出来あがったのがプラトンやアリストテレスの思想で、これが後に原始キリスト教に影響を与えて古代ローマから現在に続くキリスト教の教義を生んだ。また、その古代ローマのキリスト教やアリストテレスの思想は後にイスラム教の教義の母胎ともなった。一方、古代ペルシャから東へ向かった二元論は古代インドにおいてバラモン教の中核思想であるウパニシャッド哲学を形成し、これが古代シナに伝わって老子や荘子の思想を生んだ。この老荘思想が道教に発展し、これが朱子学の理論に大きな影響を与えているのである。だから、朱子学の理気二元論とプラトン思想やアリストテレス思想が似ていても不思議は無いといえる。
ちなみに古代インドにおいてウパニシャッド哲学を超克して二元論を否定して生まれてきたのが仏教であるが、この仏教がシナにおいては道教と混淆して朱子学の理論体系に影響を与え、結果的には理気二元論の形成に力を貸すことになってしまっている。ただ、仏教自体の理論はあくまで朱子学の理論とは相容れない。

つまり「理」というのは形而上のもの、「気」というのは形而下のものとされる。形而下というのは現実世界のものということで、「気」は現実世界を構成する根源的な物質といえる。それに対して形而上というのは現実を超えた超現実世界のものということであるので、「理」は現実を超えた世界の原理であるということになる。朱子の説では「理」と「気」は全く別個の存在でありながら互いに単独で存在することは出来ず、対になって事物を構成しているとされる。つまり「気」が万物を構成する根本物質であるのだが、その「気」の動きに一定の法則性を与えて支配している更なる根本的実在が「理」というわけだ。こう見ると「気」よりも「理」の方が上位的な存在であることが分かる。
この「理」はプラトン哲学における「イデア」の概念によく似ている。プラトンによると現実世界の背後にある根源的存在が「イデア」とされる。そしてイデアこそが真の実在なのであって、この現実世界はイデアの影が投影された偽の世界に過ぎないとされる。これはペルシャからメソポタミアに伝わった二元論思想が生み出したグノーシス主義の霊肉二元論の影響を受けた思想である。
グノーシスの霊肉二元論というのは「現実世界の背後に真の世界である不可視の霊的世界があり、現実世界は偽物の神によって作られた穢れた世界であり、人間の霊のみが霊的世界の真の神に繋がっている」というような思想である。つまりこの現実世界では人間の霊と肉体とは相容れない対立関係にあり、グノーシス主義の立場としては霊を善と見なし、肉体(物質)を悪と見なす。霊肉二元論が善悪二元論にも繋がるのである。この考え方の延長線上に「人間は死んで肉体から解放されて霊的世界へ行くことによって救われる」という来世救済思想が生まれてくる。キリスト教やイスラム教などはここから派生していった。
ただ来世救済思想はこの霊肉二元論の1つのバリエーションでしかない。この霊肉二元論思想の肝となる部分は、この世を悪と見なし、この世ならぬ物を善と見なすという部分にある。その結果、この世に絶望して諦めて、あの世に希望を繋ぐようになると、死後に魂が救済されるというような思想になるのだが、そうではなく、悪に染まった現実世界を改造してイデア化しようとする思想というものも生まれた。これが錬金術であり、これが発展して「近代科学」というものが生み出されたのだった。
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posted by 戦隊ヒロインBLOG at 02:12 | シリーズ前史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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